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特別企画!オンライン街道をGo!Go! [街道をGo!Go!]

GWである。
巷ではオンライン帰省なるものがトレンドであるようだ。私に言わせれば「だから何?」である。このブログなんかオンラインブログ♡だぞ。(だから何?)

などとくだらないことを書いていると、本当に帰省したいのにできない方々にマジ切れされそうなので、本題に入ろう。
このブログでも昨今の情勢を鑑み、現在は「自粛の要請」にお答えし、諸々の現地探索、検証等々に関して、何の補償も出ないにも関わらず「自粛(笑)」を行っている。(なんで(笑)がつく?)
もちろん買い物のついでにお花見なんかしてないぞ。(したな?)

なわけでここでオンラインである。ライオンキングじゃないぞ。(はい?)
そう、トヨペット・コロナの蔓延る(トヨペットいらない)危険な市中には出ないで、ネットワーク上で諸々の「現地なんたら」を行うのである。
幸い世の中にはGoogle Street Viewなる神ツールがある。それを駆使すれば、ニューヨークだろうがパリだろうがロンドンだろうがどこにでも行けるのだっ!(最後の、工事中だな(笑))
もちろんアジアの国々だって、北京だろうが、あれ?、平壌だろうが、あれ?あれれ?
自由に動けないぞ!(笑)
仕方がない、ソウルで我慢するか。(そういうこと書くと怒られます)

そんなわけで「オンラインなんたら」の題材だが、当初尾根探索を無難な「都市型尾根」(市街地にある尾根)でやろうとも思っていたのだが、だいたいの尾根はその根元(親尾根からの分岐)箇所が山道であることが多く、無敵のGoogleさんといえども入って行けていない場合が多い。よって尾根探索は断念することにした。

よくよく考えればStreet Viewは基本、道路である。ならば道路メインの企画、街道歩きが良いだろう。そう、ご存知街道をGo!Go!である。
え?何?ご存知じゃない?見たことも聞いたこともない?どれどれ、アクセスログは、っと、、、、
あれ?誰も見てないぞ。(笑)(笑)(笑) 
まあ良い。これをきっかけに、本来のアウトドアな街道をGo!Go!のアクセスも増えれば良いのだ。

ということで、コロナ自粛特別企画!
ンラインで街道をGo!Go!
早速始動しよう。(それっていつもやってる手抜き記事とどこが違うんだ?)

さて、今回オンライン踏破する街道は?、、、、

ザ・環状1号線!(はい?)

内堀通りとかではないぞ。港ヨコハマ環状線である。
ダイレクトに東京の中心と言われる皇居=元江戸城の周りを回る東京の環状1号とは異なり、観光地としての港ヨコハマには一切関わることがなく、ただ横浜駅の周りをぐるぐる回り車の交通量が多いだけのあの横浜の環状1号である。(酷いいいようだな)
同じ環状でも、どこかみたいにが植わっているわけでもない、多分?。(←確認してから書けよ)
なので、実際に踏破してもあまり面白くない。元々踏破するつもりもない。だからオンラインである。(あっそ)

さて、その環状1号線のルートだが、だいたいこんな感じである。(お、この記事唯一の図(笑))

Kan1.png

全然環状してないじゃないか、とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれないが、東京なんかの例でもご存知の通り環状線だからといって、みんなまあ〜るくタケモトピアノみたいに廻っているわけではない。東京に関する考察は省略するが、横浜市の場合理由は簡単、環状の中心が極端にに寄っているからである。いや、中心と思われる横浜駅にせよ、桜木町関内にしても、もともとはほぼ海(埋立地)といってよい。
それでも環状1号はまだいい。実際今後どうなるかはわからないが、南端、通町1丁目から先はまだ伸び代があるからである(伸び代?)。形状としてはこの先根岸の方に伸びたら残念であるが(残念?)関内山下町の方に伸びればまあ〜るくタケモトピアノっぽくなるからである。(財津から離れろ)
一方で環状4号などの場合、南は六浦でほぼどん詰まり、北は市境に近い鉄町環状4号入口で明らかに勝負を投げている(何の勝負だ?)。環状する意欲をまったく感じられない。(笑)

まあ他の号線のことはどうでも良い。ここで環状1号の厳密なルートを検証してみよう。
一般に横浜市の環状1号線は、以下の路線で構成するとされている。
  1. 横浜市主要地方道83号青木浅間線
  2. 横浜市道保土ヶ谷駅浅間線
  3. 横浜市主要地方道84号保土ヶ谷宮元線
2番めだけ始点と終点が逆だとか、主要地方道じゃないとか、そういう細かいことは置いておいて良い。
これらのうち、2と3の間が未成区間、つまり開通していない。代わりに神奈川県道201号保土ヶ谷停車場線を持ち出してくる向きもあるが、あんな狭い一方通行の路地は無視して良い(はい?)。途中例の浦賀道の始点もあるが、無視!無視!(いいのかよ?)

だが以上の路線で構成するとされているルートは、Wikipediaに書かれている程度の情報である。俗説と言ってもよい(はぁ?)
他に環状1号線のルートが厳密に定義されているものを探してみたが、例によって情弱の私には確としたものは見つけられなかった。

実を申し上げるとWikipediaには、2つの出典元が提示されている。(ご面倒であるが、いくつかの手順を踏んだ上で該当箇所の地図を開いてご覧頂きたい) 前者は横浜市道としての路線名が記されているもので、「環状1号線」という名称が明確に提示されているものではない。
一方、後者は都市計画道路としての「環状1号」のルートが明確に描かれている。都市計画道路としての正確な名称は「3・3・10 環状1号線」である。最初の数字は「幹線街路・幅22〜30m・通し番号10」という意味で、これらの数字の意味がオフィシャルに定義されているものは各自治体ごとのものしか見つからないが、どこも同じなのでだいたいの意味はそんなところで良いであろう。

これで晴れてめでたくルート確定と思われるのだが、悩ましいのは、この都市計画道路、北側の端点が、一般に流布する青木浅間線の始点である青木橋交差点ではなく、横浜駅西口前の通り(文字通り3・3・35 横浜駅西口線)との交差点、鶴屋町3丁目から始まっていることである。だがまあこれは、あくまでも「都市計画道路」としてのルートであり、ルートとして設定されていない青木橋鶴屋町3丁目は、もう既に「都市計画しちゃった」ということなのであろう。というか実際のところ、この iマッピーにも縮尺によっては(1/5000だけ?)、「しちゃった」区間にも「環状1号」の文字が明記されている。いや、それよりも明確な証拠があるのだが、それは後ほど現地レポートでご紹介する。(いや現地じゃないだろ)

ということで、前置きが長くなったが、え?早く始めろ?いや、やらなくていい?どっちだ?(何、自問自答してんだよ)


オンラインと言えども手を抜くわけにはいかない。(いや、企画そのものが手抜きだろw)
青汁色が何かごちゃごちゃ言ってやがるが(青汁色?)、いつものようにここは最寄り駅からスタートすることにしよう。京急はザ・神奈川駅である。


これを左にパンしていただければ青木橋国道1号線である。

県名ジャストミートな神奈川駅横浜駅のすぐ隣で、横浜から歩いても大した距離はないのだが、例えば代官山にしても南新宿にしても北品川にしても、意外とターミナル駅の隣駅は歩くとめんどくさかったりする。なのでここは地道に普通電車に乗って神奈川駅からGo!Go!すべきであろう。(好きにしろ)

青木橋京急さんJR各線の掘割を渡ると、まもなく青木橋交差点


正面の青標識をズームしていただければおわかりになるのだが、T字路、右が国道1号五反田方面(ここから五反田までは別名第二京浜)、そして左が環状1号である。つまり我々は青木橋国道1号の上り方向に渡ったことになる。
逆に申し上げると、日本橋五反田方面から下ってきた国道1号線は、青木橋を手前方向に渡り、後ろ側にある青木通交差点国道15号第一京浜)と合流し、横浜駅東口方面へ向かう。
この辺はめんどくさいので、地元民以外は無理に理解されなくても良い。(だったら書くなよ

T字を左折、いよいよ環状1号線のスタートである。


国道1号から見たら直進方向であるが、騙されて(笑)直進しても1号線に復帰する方法はある。
ついでに申し上げれば、環状1号に入った途端、道路の上下線の間に中央分離帯(柵)が出現している。国道よりも主要地方道の方がグレードが高いのか?(笑)

直進してすぐの「環状1号」標識。


ここは、上で言及した都市計画道路 3・3・10 環状1号線に含まれない部分ではあるが、この標識によってここが環状1号線であることは保証される。

その先すぐに右に入る通りが旧東海道である。


本来の旧東海道は、この後ろ側の幸ケ谷の方から直線的にこの道路に通じていて、鉄道が敷設された段階でもそれは変わらなかったようだが、1920年代か30年代には現在の青木橋ルートに付け替えられてしまったようだ。
因みに旧東海道奥に見える上り坂は、広重の絵で有名な神奈川宿の坂である(2枚めの画像。むろん田中家は現存する)。

環状1号ははここからしばらくの間は、この旧東海道の左側に並行して進む。広重の絵においては、旧東海道のすぐ脇はであり、我々はその時代のに潜ることになる。ぶくぶくぶくぶく。。。しまった!なめこさんは水泳が苦手だったんだっ!(そういうくだらないボケはいらない)
なんにせよ、旧東海道はこの先、昔の海岸線ギリギリのところを進み、環状1号を進む我々はしばらくは常に海中にいることを意識していただきたい。(必要か?それ)

徐々に線路から離れはじめ右カーブ。


左へ回る環状なのに、右カーブとはけしからん!などと教条主義的ななめこさんは思うのであるが、まあ最初だから許してやろう。(なんだ偉そうに)

カーブしきったところで台町入口交差点


台町とは、先程の旧東海道沿いの地名。我々の環状1号交差点の少し手前までは台町の恩恵に浴していたが(なんだ?恩恵って)、この先の水没していたか、せいぜい砂浜であったろう区間は鶴屋町になる。
鶴屋町の地名の由来はWikipediaにあるが、出典付きであるのでまあ信用してよいだろう。
現在の横浜駅周辺にあった入り江のうち、最後に残った部分に当たる。1909年(明治42年)頃、鶴屋加藤八幡右衛門の出願により横浜市青木町地先の埋立が行われ、1926年(昭和元年)に竣工した。1927年6月10日に、埋立を行った加藤八幡右衛門の屋号から、青木町字鶴屋となる。1932年1月1日、神奈川区鶴屋町が新設された。
もちろん「オンライン」であるので自粛して、図書館等で裏は取らない。(笑)

そんなわけでしばらくは鶴屋町始まりの交差点が続くが、その辺はどーでもいいのですっ飛ばして。。。(どーでもいいゆーな!)

鶴屋町3丁目交差点である。交差する道路は横浜西口線


この交差点を左折すると横浜駅西口である。


西口の地下街はこの近く(高速の高架の下辺り)までうにうにと伸びてきているので、地元民でなくともこの風景をご覧になって「ああ横浜西口だ」とおわかりになる方もいらっしゃるかもしれない。

そしてこちらは右折方向、泉町方面。


遠景に見える橋は、旧東海道上台橋である。
陸地を通る旧東海道は、先程の台町の坂で今見えているレベルまで上り(むしろここはピークよりも少し下ったところであるのだが)、この横浜西口線はその下を切り通したということになる。迅速測図を見ると、こちらが海であるのはいいとして、旧東海道の向こう側にも人工的な入り江のようなものがあったようだが、「オンライン」なので詳細は調べない。(またかよ)

さてここで、皆さんのご記憶に残っているかどうかはわからないが、この交差点から先が例の都市計画道路 3・3・10 環状1号線である。つまりここまでが既に「都市計画されちゃった」道路ということになる。この先の保土ヶ谷駅周辺までも現時点において既に「都市計画されちゃった」ように見えるが、その辺りの事業の経緯については調べるつもりはない。だってオンラインだもの。(あっそ)

西口ランプ入口首都高速神奈川2号三ツ沢線(K2)金港JCT方面に乗るランプである。


貧困にあえぐなめこさんは滅多に有料道路には乗らないのでよくわからないが(エ?)神奈川2号は、大師橋から石川町を結ぶ神奈川1号金港JCT)と、第三京浜横浜新道保土ヶ谷JCT)とを連絡するルートを取っている。ここから乗れば羽田や、回り込んで横須賀方面にも行けるのだ!(だから何?)

ここの右側に旧東海道が比較的接近してきているのだが、相鉄バスが邪魔している([むかっ(怒り)]っ)ので見えない。なので反対車線から見た(逆走だぞおい!)ビュー、セブンイレブンの前の道路が旧東海道である。



向こうが下がってきたのかこっちが上がってきたのか、ここでは同じレベルになっている。

因みにこの辺りの地名は楠町。地名の由来等はこれまたWikipediaに頼ろうとしたが、立項すらされていないようなのでスルーする。

ランプ入口をすぎると待望の左カーブ(何が待望だ)、少し先に進むと楠橋入口交差点


ここを左折した道路を彫刻通りというらしい。


私は開港以来横浜に住んでいるが(あんたいくつだ?)、そんな名前の通りがあるとは知らなんだ。
なるほど、彫刻とは、これとかこれとかこれとかこれとかのことを言っているのか。さすがに最後の玉々は私も知っているぞ。(玉々ゆーな!)
他にもあるかと思うので、ご興味のある方はぜひご自分でお探しいただきたい。

環状1号に復帰しよう。浅間下交差点。


交差するのは新横浜通り、左、桜木町方面、右、新横浜方面。
右方向は、くねくねした登り坂になっていて、向こうからの下り坂、横浜駅方面は常に渋滞していたイメージがあるのだが、今でもそうなのだろうか?(K2西口方向に出口がないせいですかね?)

この辺りの地名は浅間町。これはWikipediaを見ずとも明らかで、右前方にある浅間神社由来である。


浅間神社は、先程来申し上げている旧東海道沿いの高み、高台にあり、その下であるから交差点名浅間下となっる。

神社の裏手方向の高台の地名を浅間台といい、みはらし公園などもある。黒澤明の「天国と地獄」の天国側(三船側)はこの辺りであるはずだが、面倒なので詳細はこの辺を御参照いただきたい。

さて、そこからざっくりと飛ばして、洪福寺の交差点


交差するのはお馴染み国道16号線。左、横須賀方面、右、八王子方面。青木橋国道1号からうっかり直進してしまった人は、ここを左折が1号線に復帰する最後のチャンスである。(笑)

因みに交差点名の洪福寺は、奥左の角にある。


そういえば今思い出したが、ここまでの道路、あるいはこの交差する道路に路面電車の線路、そして上にはその電車のものか、あるいはトロリーバスのものであったか、電線が張り巡らされていたことを記憶している。お年寄りのなめこさんであるが、幼き頃にそれらに乗った記憶はまったくない。だが、線路や架線は廃止後もしばらく残っていたらしく、それを覚えている、

この交差点をすぎると、市道としての名称は、青木浅間線から保土ヶ谷駅浅間線に変わり、主要地方道から一般の平の市道に変わる。車線も片側1車線に減って、中央分離帯も無くなり、最高速度も50から40へダウン。露骨な待遇変化である。(笑)


天王橋、ここで帷子川を渡る。


この少し手前で、地名は神奈川区浅間町から保土ケ谷区天王町に変わる。天王町の地名はこちらも神社絡みで、川の手前右奥にある、かつて牛頭天王社と呼ばれた橘樹神社に由来するとのこと。


橋を渡り、まもなく相模鉄道相鉄)のガードをくぐる。


すぐ横に、相鉄天王町駅がある。


ガードをくぐった先で、地名は岩間町に変わる。

これまで右側を並走していた旧東海道は、松原商店街を経て天王町駅に突き当たった後は、駅南側の広場を経て環状1号に合流する。つまりここから我々は堂々と東海道を歩むことになるのだっ!(だから何なんだよっ?)


大門通り交差点。交差するのが大門通りである。


大門が何に由来するものかは、ざっくりと調べたところはわからない。
この辺りは、旧東海道と合体したとはいえ、この道のやはり右側の山沿いには、少なくとも迅速測図の段階(≒ 江戸時代中期〜明治初期)における旧東海道よりもさらに古い旧々東海道といえる道が残されている。こちらの道沿いには既に保土ヶ谷宿が始まっているのであろうか、町屋で埋め尽くされ、古いお寺はその奥の山裾にいくつかある。だが申し訳ないが、今回はとくにご紹介はしない。オンラインだも(はいはい!)

岩間町交番交差点


交差するのは学園通りこちらに学園通りの記載があり出典が明記されていないが、右折して鬼のような坂道を登った先の台地上に確かに学校がいくつかあるので、それ由来であろう。

道路沿いの地名はここから帷子町。先程の帷子川はこの町域とはまったく関わらないが、まあ細かいことはいいだろう。(だから、いいのか?!)

その先で道は突然2つに分岐する。


自動車でここまで来ると、道路の形状的に左へ導かれるようになっている。というか右側は一方通行の車両進入禁止で進むことができない。マクロに見た道路の形状としては右分岐が直進方向であり、なめこさんはここまで徒歩で来たので(歩いてないだろ!)右方向に行ってもよいのだが、少なくとも iマッピーの「都市計画道路 3・3・10 環状1号線」的には左である。

右方向(直進方向)は旧東海道で、現在はこの記事の最初の方でご紹介した神奈川県道201号保土ヶ谷停車場線である。県道の経路は、地理院地図に黄色線で明確に描かれている
前にも書いたが、この県道に一方通行を無視して直進し、なめこさんの天敵保土ヶ谷税務署浦賀道入口を経て、横須賀線東海道線の踏切を渡り、国道1号線の突き当たるルートを現環状1号線とする向きもあるようだが、この記事では iマッピーに図示されている未成のルートを経る立場を取る。

そんなわけで、左へ行くと保土ヶ谷駅西口前のロータリーに迷い込み、あれ?あれれ?となるのだが、


出口はここである。


ここまでの駅前ロータリーや、この駐輪場の今後の運命がどうなるのかはわからぬが、 iマッピーの図面によれば、環状1号はこの先、駐輪場の乗っかっている今井川)の上を進むらしい。

因みに駅前ロータリーからこの川上は、帷子町岩井町の境界になる。ここに書いたが、保土ヶ谷駅岩井町にある。ふつふつとトラウマが沸いてくるが、今日はそっちへ行かないので大丈夫だ。(何の話だよ)

Googleさんは駐輪場の中をお邪魔できないので、脇の道を先に進む。


だが、がかかっている先には行かれない。の名前は神戸橋(こうどばし)。


の左側に細い道があるが、無敵のGoogleさんもそこは進めないので、なめこさんが魔力を使ってこの先のまでワープする。(普通に歩いていける道だろ)

を逆方向(保土ヶ谷駅方向)に見たビュー。


上のビューから振り返った反対方向に踏切があるが、未成道路はその右側を斜めに線路を突っ切るものと思われる。上を渡るのか、下をくぐるのかはわからない。


線路の向こうの建物の隙間のようなところを直進し、国道1号線今井川を渡るのところに出てくる。の名称は保土ヶ谷橋


ということで、ここで横浜駅東口高島町を周ってきた国道1号と再会。こういうところは環状線ならではの醍醐味である。(醍醐味?)

環状1号の続きは、上のビューから振り返って国道1号を少し左方向に行った保土ヶ谷橋交差点を右方向である。


つまり、国道1号をはさんで交差点で東西方向に20mほどのちょっとしたズレが生じている。 iマッピーではそれを解消するためであろう、上記ビュー右角の住宅地に大きくふくらんだ計画領域を取っているが、これは何であろう?立体交差にでもするつもりなのだろうか?

保土ヶ谷橋交差点から、復活した環状1号に入る。片側2車線、中央分離帯も復活、最高速度も50、かっ飛ばしてGo!Go!(だめですよ、速度違反は)


今井川からこっち、しばらくは岩井町だが負けないぞ!。(だから何のトラウマなんだよ?!)

上のビューでお気づきかもしれないが、保土ヶ谷橋交差点から上り坂である。


帷子川支流:今井川)と大岡川分水嶺を越えるのである。もうとは言わせないっ!(はい?)

上り着いた分水嶺首都高速神奈川3号狩場線(K3)永田入口がある。


K3は、湾岸道路本牧JCT)と保土ヶ谷バイパス&横浜横須賀道路(=国道16号のバイパス)(狩場JCT)とを接続し、途中石川町JCTK1を分岐する。狩場保土ヶ谷バイパス側は厳密には横浜新道だとか、そういう細かいこともどうでもいい。(またどうでもいいかよ)
例によって羽田方面(ベイブリッジ経由かK1経由)しか入れないが、逆方向の保土ヶ谷バイパスへ行くにはどうすれば良いのだろう、などと考えると夜も眠れない。(直接狩場に行けよ)

峠越えしたところで南区に入る。左、永田東、右、永田北


下り坂である。

そして永田交差点ルリルリ♪(疲れてるな?)


なるほど、峠越え19から18になったのか。(は?)
ここから両側永田東
この辺はよく知らないのでびゅんびゅん飛ばす。(いいのか?)

ここから左が南太田京急さんと再開の予感♪


はいはい来ましたよ、京急さんガード。


くぐって右側に井土ヶ谷駅


南太田と見せかけて、井土ヶ谷駅である。見事なフェイント!(それがどうした)

ガード少し手前から左が井土ケ谷下町、ガードから右が井土ケ谷中町、正真正銘の井土ヶ谷に突入である。
私は幼い頃、「いどがや」と「ほどがや」があるのを知って、間に「ろどがや」「はどがや」「にどがや」があるものと思っていた。岩手青森両県に一戸九戸があるのと同じ理屈である。(何の理屈だよ?ってか四戸はありませんよ)

もう少しでゴールである。頑張ろう。トラウマには負けないぞっ!。(まだ引きずってるのか?)
井土ヶ谷交差点


交差するのは平戸桜木道路。桜木は桜木町平戸国道1号狩場権太坂の先の地名。
最近は県道名として「218号弥生台桜木町線」というらしいが、平戸からあっちは未開通部分が多い。弥生台平戸井土ヶ谷桜木町の経路など、私の預かり知らない闇の地域ばかりである。横浜の闇を縫う路線なのだ。(なぜそういう言い方をする!?)

ああ、もう本当に疲れてきた。なんで「オンラインだもの」なのに疲れるのだっ!(テレワークやオンラインワークは楽だろうと言う人もいますが、そういう問題じゃないんですよね)
はいはい、もうすぐゴールですよ。


鶴巻橋、渡るはご存知大岡川である。


この先、大橋町中島町通町(とおりちょう)と目まぐるしく地名が現れるが、橋からものの150mほどで通町一丁目交差点に到達、鎌倉街道、ゴールである。お疲れさまでした。


左、関内港ヨコハマの中心地)、右、鎌倉、実に豪華な交差点である。同時に右方向は途中まで浦賀道と一致している。

正面に細い道路があり、ビルが建て込んでいるが、この先環状1号が伸びる予定は今のところ無いようである。

ここからお帰りになるには、京急さん至上主義であれば800m以上戻ってエア急の停まる井土ヶ谷を利用する手もあるが、カタギの方であれば鎌倉街道を左500m弱のところのブルーライン蒔田駅が一番近い。


邪魔だ!ファミマ!いや、いつもご苦労さまです。(笑)
ここではご紹介しないが、鎌倉街道沿いのバス路線はたくさんあると思うので、適当なものを拾ってお帰りになるのもよろしいかもしれない。

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