前回の鎌倉殿 [くらいところ]
相棒の再放送(高橋克実の回)を見ていたら、その筋では有名な「風魔のおねいさん」が出ていた。(その筋ってどの筋だよっ)
(長谷部安春、亡くなってたんだなー)
(長谷部安春、亡くなってたんだなー)
- 北条パパの畠山追討宣言に和田殿、長くいて情が移ったと言い、
「次郎って奴は、見栄えはいいし頭も切れる。自分と同じ匂いを感じるんです」
山耕「先へ進みましょう」 - 明らかに後手に回っている小四郎。
泰時「のえさんのことなんですが」
小「今はそれどころじゃない!」
こういうところがなあ。。。それどころじゃないことはわかるけど。 - そののえさん、「うっぷ」 include 政村
伊東四朗が入っていると思えば良い。(?) - 一応付け加えておくと、畠山重忠没、北条政村誕生、ともに元久2年6月22日。
後でその辺やるのかもしれないが、今回は上の「うっぷ」だけでカットされたかな。 - 鎌倉へ向かう畠山軍について
実衣「戦?」
小四郎「鎌倉殿とお話するようにと、私が説き伏せたのです」
畠山が臨戦態勢でなかったのは、ドヤ顔で語るこいつのせい、ということになる。 - 実朝「決して殺してはならぬ」
文書をちゃんと読まなかったあんたも元凶。 - 重保くん(重忠くん息子)を由比ヶ浜に呼びつけて
山耕「謀反人とはお前たちのことだ」
和田殿「手向かいしなければ、命は取らぬ」
重保くん「謀ったなー」
京都のなんとかいう先生がおっしゃるヤクザとかではなく、不良、チンピラ、半グレレベル。 - 和田「命は取らぬと申しておる」
重保「うあ〜!」
まあそうなるわな。 - 北条パパ「重保は殺すなと申したはずじゃ!」
山耕「やらなければ、やられていた」
和田「坂東武者の名に恥じない、立派な最期でござった」
この「坂東武者」たちの振る舞い、態度、言い草をよく覚えておこう。 - 「すぐに兵を差し向けなさい」「畠山は謀反人ですよ」
宮沢うるさい。(www)
諌めるトキューサに、「そんなに私が憎いですか?」 憎いです。(←あんたが答えるなよw)
だって北条パパが亡くなった後、京都に帰って左うちわで優雅に暮らしたらしいんだぞ。(www) - 山耕「次郎の様子は?」
トキューサ「今朝から二俣川の向こうにとどまっておられます」
泰時「近くの鶴ヶ峰に移り、陣を敷いた模様です」
パパ「鶴ヶ峰かあ。。。あそこは高台になっており、敵を迎え撃つには絶好の場所だ」
伊豆出身、鎌倉在住のこいつらが、なぜそんなローカルな地名と地理を知っている?
乗馬の試験場でもあったかな?(ねーよ、そんなもん!)
役所とか。(知らんがな) - 交通の要衝、あるいは軍事的な拠点となりうる場所という知識があったのかもしれないが、まあ普通は地図とか見るわな。
- 和田「あいつは死ぬ気だ」
宮沢「だったら、望みをかなえて上げましょう♪」
パパ「それ以上、口を挟むな!」
瞬間パパの好感度が上がるが、後々宮沢にこっそり謝罪。あ〜あ(笑) - 鶴ヶ峰に陣をはる畠山。鶴ヶ峰にあんなだだっ広い原っぱはありません。(←野暮な地元突っ込み)
- 小四郎「政を正しく導くことができぬ者が上に立つ。あってはならないことです。その時は、誰かが正さなければなりません」
政子「何をする気?」
小「これまでと同じことをするだけです」
クーデター意欲満々だが、そういうことは畠山討つ前にしろよ。
いや、畠山討伐を含めて、いわゆる「これまでと同じこと」をしただけか、ブラック小四郎め。(笑) - 小四郎「これより先は、見通しの良い広い野原。敵陣は丘の上。我々の動きは丸見えだ」
別宅、画像参照。
ちなみに、この撮影場所付近にあれだけ広い野原はありません。(さっき言った)
まあ、だから降りてきて戦になったわけである。史跡はほぼ谷筋の平野部にあり、むしろ丘上は駕籠塚(妻の墓)以外基本何もない - 重忠くんとの和戦交渉に同行を希望する和田殿。
「なんとか説き伏せてみるわ。それでも考えが変わらないときは、腕相撲で勝負してみようと思う
。。。(間) - 足立「執権殿は恐ろしい!私や畠山が邪魔で仕方ないのです」
政子「大丈夫。あなたのことはさほど重きを置いていないと思いますよ♪」
足立「それは、それで…」
やっぱり、重忠くんの妻(の一人)になった娘(多分駕籠塚の中の人)のことはスルーだな。 - 足立殿、目がぴくぴくしていることを理由に所領に戻る。
これで13人がまた一人減り、残りはえっと、えっと、、、
パパ、小四郎、和田、八田、大江、二階堂、三善
ちなみにWikipedia情報では、この時点(1205年)では、足立と中原はまだ離脱していないことになっている。 - くどいようで申し訳ないが、この山岳地帯がバックの「鶴ヶ峰」とは一体どこなのだ? いや、ひょっとしたら昔はああだったのかもしれない!(地殻変動でもあったのかw)
- 撮影協力クレジットを見るかぎり、富士宮市か伊豆の国市のいずれかのようである。うっかり富士山とか映り込んだら大変だw(鶴ヶ峰からも富士山見えますが、大きさが、、、)
何はともあれ、「梅ちゃん」のときの蓮沼?呑川?以来の衝撃である。(あれは茨城県だったかな?) - 「戦など、誰がしたいと思うかぁぁぁ!!!」ごもっとも。
- すっかり仲良しになっている和田殿と重忠くん。
和田殿「もうちょっと生きようぜ。楽しいこともあるぞ〜♪」
重忠くん「もはや、今の鎌倉で生きるつもりはない」
和「よ〜しわかった。俺とー、、、」
重「腕相撲は、しない」
和「(しゅん・・・)」 - 和田殿「俺に策がある!皆が正面から攻め寄せたら、俺が脇腹から突っ込む。どうだ!」
重忠くん「和田殿は何とかの一つ覚えで、必ず横から不意打ちを仕掛けてくる」
やっぱり仲良しさんだ。心が通じ合っている。(www) - 本日のセクシー八田。
畠山が侵攻してくることを懸念する実朝と、楽観視する三善に、
「御家人たちは畠山の潔白を信じ始めている。ゆえに戦に身が入らない。この戦、どう転ぶかわかりませんね」
将軍に向かってしゃがみこみ顔を近づけるポーズで言うようなセリフではない。 - 言ったとおり、脇から攻める和田殿。
畠山の兵を前に「なぜわかったぁ〜!」 wwwwwwwww - 重忠くんと小四郎の一騎打ち。川中島かよ。しかも小四郎、めっちゃ弱え〜(www)
- 山耕が「手を出すなー!」と言って、周囲の介入を排除するが、これまでの「坂東武者」共の所業から考えて、これはありえない。(w)
小四郎をぼこぼこにする辺り、もちろん視聴者にカタルシスを与える(ガス抜きともいう)フィクションである。 - 小四郎にトドメを刺さなかったり、黙って立ち去るのを見送ったり、坂東武者の美談の様に描いているが、この戦いに関する物語は畠山重忠自身、それもほぼ後世に祭り上げられた美談であり、上に書いた通り、鎌倉、坂東の武士共の美談ではない。だいたい134騎を相手に数千騎で袋叩きにするとか、仮に両者納得づくであったとしても、単なる鎌倉側の虐殺行為である。
その辺り、三谷に騙されてはいけない。(笑笑笑) - まあいずれにせよ、どこの「鶴ヶ峰」かは知らぬが野外ロケで気合がはいっていたのでよきよきとしておこう。
- 「愛甲三郎」、名前だけでてきた。
- 首を改められない北条パパ。ダメ人間すぎる。
比企の方がまだマシに見えてきた。(www) - (またも大江の発案で)今度は稲毛を血祭りに。パパを陥れるためだが、毎回このパターンだな。
ちなみに稲毛はいなげやの「いなげ」な。(←逆なw) - 小四郎「畠山の所領の分配ですが、尼御台にお願いしようと思います」
大江「尼御台?(ぽ♡)」(いや、今回ぽ♡はない) - Wikipediaによれば、実際に北条政子が恩賞、遺領分配をしたようだが、これは元々鎌倉殿にある所領分配権を母が代行したということになるのだろうか?多分本来であれば「執権」がその役職の文字通り代行するのであろうが、それはドラマで描かれているように北条時政の権限が奪われつつあるということなのかもしれない。
- ちなみに、Wikipediaによれば、
- 二俣川の戦い 元久2年6月22日(1205年7月10日)
- 畠山の遺領分配 同7月8日、20日
- 北条時政失脚 同閏7月19日
- 平賀朝雅謀 同閏7月26日
それがスピーディーなのかどうかはわからぬが、これ自体(平賀を巻き込んで時政を引退させること)素人目では実際陰謀のように見える。 - 小四郎が、稲毛重成を捨て石にして時政を失脚させることを、大泉を引き合いに出されて黙認してしまう政子。「その先は?あなたが執権になるのですか?」
小「私がなれば、そのために父を追いやったと思われます」
政「私が引き受けるしかなさそうですね」
だが、結局最終的に小四郎に回ってくるという、これもいつものパターン。 - 実衣「恩賞の沙汰を尼御台がするなんて、聞いたことないわ!」
悪いが、それはあんただけだと思う。(←実衣さん推しだが、さすがにイラっときたらしいw) - 「梶原の比ではない」数の御家人の署名を連ねた訴状を小四郎に突きつけられたパパ
「お前、わしをはめたな」
小四郎「ご安心ください。(ビリビリッ)これはなかったことにいたします」
「まだあるぜ」と言って大量のコピーを取り出す山耕の幻影が見えた。(wwwwww) - 恩賞の差配もやらせてもらえない時政パパ。
小四郎「すべて、ご自分のまかれた種とお考えください」
パパ「ハッハッハッハッハッハッハッハッ・・・や〜りおったな〜。見事じゃ!」
なんか最後までダメダメ感が。。。 - 次回「オンベレブンビンバ」
諸説取り沙汰されているが、まあ「知らんかっとんてんちんとんしゃん」みたいなもんかな?(?)
(梵語かな?) - 横浜市A区(青葉区じゃないぞ)の秘境性が強調される風景から始まる紀行については、既記事をご参照のこと。
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