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前回の鎌倉殿 [くらいところ]

  • ブラック義時(←生田斗真に太刀持ってかれちゃった)に、肩ぽんされた山耕、
    「どうしてここにいる?」
    こっちも、いやこっちがサンバ&ライダーのオマージュか?
  • 天命に逆らうな
    アクシデントのトリガーとしてガジェット化されてしまった大竹さん(←何言ってるかわからないぞ)とか、それが多分三谷幸喜のクセであろうこととかはまあ良いのだが、もう少し演出的に何とかならなかったのかよ感。
  • 「寒い、寒いぞ、寒いぞ。寒いんだよ〜!
    こっちもそう。生田斗真のこれまでの、それこそ「熱い男(笑)」の熱演や、この最期のシーンにしても十分評価に値すると思っているのだが、ここへ来てのそこはかとない「残念感」のようなものは何なのだろう?脚本としてのこれまでのキャラとのコントラスト(落差)とか、それこそ「なんじゃこりゃあ」以来の伝統と思われる今際の際定番のアホっぽいセリフとか、そういうことを申し上げているのではない。くどいようだが、生田斗真の演技の問題でもない。
  • 大叔母「公暁は、必ず討ち取りなさい。首は、御所の正面に晒すのです」
    祖母「実衣」
    大叔母「それくらいしないと、気が収まらないわ」
    祖母「あの子は私と頼朝様の血を引いているのです。命は助けてやりましょう」
    大叔母「何を言ってるの。大丈夫?」
    大叔父「公暁は謀反人です。尼御台がそのようなことを言ってはなりません」
    祖母「公暁(孫)の首を取って、実朝(子)が喜ぶとは私は思えない」
    因みに実衣さんから見ると、甥の息子と、別の甥。
    実衣さんに、政子のこのときの気持ちがそのうち理解できるようになるのかどうか。(仲章に息子が一人殺されているのは知らないようだが)
  • ドジっ娘トウタソ(タソ?)「やまもりきのここうげき」などさんざん酷い目にあいながらも(あってない)自らの脱出には見事成功。
  • 仲章が死亡した件について、のえさんにブラック
    「お前も救われたな」←また余計なことを。。。
    「私はお前を斬っていたかもしれない」
    の「えっ、、、わからない。焼いておられるのですか♪」
    ブ「八重も比奈も、もう少し出来た女子だった」
    「言っていいことと、悪いことがあります!」
    そうだ!そうだ!やっちゃえ!のえさん!(何を?)
    ってか、こんな弱っちい菊地凛子(のえさんと言え)は見つづけるのは辛い。
  • 政子に会いに来た公暁、事前に会っていた実朝を信じられなかったと言う。
    政子「こんなことをして、鎌倉殿に本気になれると思っていたのですか?」
    北条や三浦黒幕説であれば、仮にそれがフェイクだとしても、公暁に鎌倉殿襲撃のモチベーションは十分存在しうると思うのだが、このドラマの展開(三浦が手を引いた)では、確かにちょっとありえない。
  • で、公暁はこう答える。
    知らしめたかったのかもしれません。源頼朝を祖父に持ち、源頼家を父に持った、私の名を
    確かにそれで「公暁」の名前は有名になったけれど。。。
  • 「お見せしたいものが」ドクロを取り出す公暁。
    「これぞ、鎌倉殿の証し」
    カピバラが持ってきたインチキドクロが、ついに鎌倉殿のレガリアレベルに。。。(カピバラゆーな)
  • 「四代目は私です」
    この後速攻で源氏絶滅させられたので、残念ながらブルボン朝やナポレオン朝のように欠番的代数には数えられない。
  • ブラックと山耕の会話。
    「公暁が私を殺そうとしていたことを、知っていたのか?」
    首をふる山耕。
    「私に、死んでほしかったのではないのか!」
    山「公暁がお前も殺そうとしていると知ったら、俺はその場であいつを殺していたよ」
    と語ったときには襟を正していなかったのだが、、、(→)
    わざとやってる説(www)
    その前にカットされた説(wwwww)
  • 三浦館でお食事中の公暁を、山耕が後ろからブスッ!
    ってか、長尾定景はどうした?上杉謙信の先祖だぞ。鎌倉氏系だぞ。
  • 公暁は暗殺後、わーっと逃げて、わーっと討ち取られたイメージがあるのだが、ドラマでは政子に会いに行ったり三浦館でご飯食べたり結構呑気である。実際Wikipediaによれば、「雪の下北谷」の「備中阿闍梨」さんのお宅で持参した実朝くんの首と一緒にお食事をし(やだそれグロい)、その後「三浦から迎えが来ないっ!」といって八幡宮の裏山をぐいぐい登って西御門にあったといわれる?(うろ覚え。要検証)三浦館に向かい、その途中、あるいは「義村宅の板塀までたどり着き、塀を乗り越えようとした所」で討ち取られた(確か「草燃える」はこのパターン)とされているらしい。
    阿闍梨さんのお宅のあった「雪の下北谷」とは、(新道の方の)巨福呂坂左カーブの手前をまっすぐうにうに入っていく御谷の二十五坊(日本初の環境保護運動で有名)のどこかであろう。谷の突き当りに裏山をくぐる謎の私有トンネルがあり(?)、左側に山を上る階段があってその先は十王岩の方まで続く尾根道になっている。途中、建長寺回春院からの道と十字になっていて、そこを右に下れば西御門である(あるいはもっと手前に第二中側に下る道があったのかもしれない)。
    それが公暁くんの辿ったルートである、ということをどこかで読んだか見たかしたのかもしれない。あまり地図に描かれていないその道を、だいぶ前に何度か歩いたことがあるが、その時点で結構荒れ荒れで、藪化というよりも、崖沿いが崩れていたりして結構危険な道であった。今はどうなっているかわからないが、すっかりお年頃でぷにぷにしてしまったなめこさんが、今それを辿れるかどうかはわからない。
    鎌倉時代当時のことは知らないが、それでも御谷側からの登りは結構大変であったと思う。二十歳の公暁くんはそれを登って、はりきって三浦館に討ち取られに行ったのだ。(いやだなあ。。。)
    まあ動けるうちに機会があれば「公暁くんになって、実朝くんの首を持って三浦館に討ち取られに行こう」企画でも記事にしてみよう。(いやだなあ。。。w)
  • 公暁討伐後、父子の会話。
    子「これからは、好きに鎌倉を動かせる、父上はそうお思いだ。しかし、そうは行きませぬ」
    ブラック父「どういう意味だ?」
    子「私がそれを止めてみせる。あなたの思い通りにはさせない」
    面白い。受けて立とう
    これも、伏線かなあ。。。
  • トキューサから報せを聞いて自害しようとする政子を止めるトウタソ。(タソやめろ)
    ト「ならぬ」
    政「ではあなたが殺して」 政子はトウの存在、役割を知っていたのか?
    「主の命がなければ、人は殺せない」 ←トキューサが政子保護を命じた説。
  • トウタソは例の設計図の一件以来、トキューサの管轄になっているのかな?
    トキューサ、清盛のときの森田剛みたいな立場になっているのか?
  • 上皇さま「つくづく鎌倉とは、忌まわしいところだ」
    卿二位「恐ろしや、恐ろしや。鎌倉なんぞに親王様を行かせてはなりません
    まあそうなるわな(笑)。
    ってか東大寺の大仏様とまで持ち上げた政子と飲み友達になったくせに、やっぱりチョロい卿二位(w)
  • 磯田の番組、「奈良時代すげーな」の光明皇后回を見て、系図を色々見ていたら面白いことがわかった。
    藤原兼子(卿二位)は「藤原南家貞嗣流」の出自の人で、同じ系統からあの由良御前(頼朝ママ)が出ている。具体的には、卿二位は頼朝ママのはとこの孫にあたる。(いや、だいぶ遠いぞそれ)
    女系とかで辿れば、もっと近道があるかもしれない。
  • 親王東下をこちらから断るのはまずい、ということになって、
    ブラック義時「一日も早く親王様に来ていただきたいと、強く催促するのだ」
    ブラック大江あえて、でございますな」
    これ、例えば朝廷を女子とし鎌倉を男子とすればわかりやすい。実に悪い子たちだ。(いや、全然わからないぞ)
  • 「ここが正念場ですよ」
    こばやんをけしかける実衣。あああ〜っ!(何だよ?)
  • 「必ず、鎌倉殿にしてみせます。この母に任せておきなさい
    実衣さんの計略のこれまでの成功率は、多分トウタソの任務成功率よりも低い。
  • カピバラドクロの扱いについての相談、(だからカピバラゆーな)
    政子「もう良い。どこかへぽいっと捨てて丁寧に埋めてしまいなさい」(捨てるなよっ)
  • 政子「私は鎌倉を去ります」
    ブラック「なりませぬ」
    政「なぜ止めるのですか」
    姉上が頼朝様の妻だからです。頼朝様の御威光を示すことができるのは、あなただけだ」
    やはり、微妙に女性の地位が通用する鎌倉時代なのだ。
  • それでもいやがる姉上に
    「鎌倉の闇を忌み嫌うのは結構」
    「闇を断つために、あなたは何をなされた」
    今まで妥協に妥協を重ねてきた政子の自業自得ともいえるが、この辺りでいい加減「ムキーッ!」となっておいても良いと思うぞ。(「ムキーッ」?)
  • 「つまらん顔だ」「今のお前に興味はない」とまで言う運慶に、金に物を言わせて自分に似た仏像を作らせようとするブラック
    天下の運慶に、神仏と一体となった己の像を作らせる。頼朝様がなし得なかったことがしたい」
    こういう権力者のメンタル(例:地元に銅像を作らせるとか(笑))は、本当にキモい。
  • その後の俗物呼ばわりの屁理屈は全然納得がいかないが、めんどくさいので書かない。(はあ?)
  • 紀行、八幡宮、前記事で1/3スケールと申し上げたが、思ったよりは狭い。やっぱ1/2ぐらいかな?(知らんがな)
  • 秦野の金剛寺に首塚があるのは、三浦の武常晴という家臣がどこぞで首を入手して葬ったからなのだそうだが、なんかよくわからない。機会があれば調べてみよう。(←多分放置)
    因みに、鎌倉から秦野へ行くのって、現代では結構めんどくさい。電車だと、最低でも3回は乗り換えないと行かれないのでは? と思って検索かけたら、小田原回りとか相模大野回りとか(どちらも2回乗換)、二宮からバスとか、色々出てきて面白い。(だから何?)
  • 今回のおまけ:Nウォーム(仲章の血が。。。w)
    今までぼーっと見ていたCMだったが、そうかこの人だったのか。。。(Youtube)

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